なぜか、という問い

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私の思考をここに書き殴り、それを何年か後に見直した時に、「あの時の自分はこんなこと考えてたんだな」と振り返るために書いています。人生は黒歴史の連続で、今まさにその歴史を更新し続ける。共感性周知の人は、こんな駄文を読んでいると恥ずかしくなって死にたくなるだろうし、それ以外の人も何故こんなこと書いているのか理解できないと思います。ただ、それはTwitterやインスタグラムも例外ではないし、写真を撮らない私にとって、自分の面をネットに落とすという意味が分からない。つまりそういうことで、相容れないことはある。それはそれで、そういう人もいるよね、と軽く流すことが大事だと最近覚えました。

こんな、人様に見せられるような文章をネットの海に落として、誰でも見ることができる状態にして、でも未来の自分はきっとこの文章を肴に酒を飲んでいるでしょう。それがアルコールによるものか、恥ずかしさによるものかは分かりませんが、多分顔は真っ赤だ。

これは同窓会や飲み会の時に、昔話を肴に酒を飲むことに近いかもしれませんね。

ストレス、解消

世の中にはいろんなストレッサーたるものがあり、決してそれを無にすることは出来ず、どう折り合いながら生きていくか、それをどう発散していくか、と言うものを考え学んだ時期がありました。確か卒論を書く時かな。ストレッサーには”物理的”、”化学的”、”心理・社会的”の三つがあるそうです。

ここまで書いてちょっと面倒くさくなってきたので詳しいことはこれを読んでください。
https://mitsucari.com/blog/stressor_type/


一般的な解消法としては食べる、買う、運動が多いでしょうか。私にとって食べることは好きではないし、買い物に”出かける”という行為が、全部とは言いませんがストレスになります。運動は好きではないので、それもストレスになります。私にとってストレスが溜まっている状態は、頭の中がごちゃごちゃになり、整理がついていないという状況で、そういう時には寝るか適当な文をPCで文を書くという行動にでます。つまり、今何かしらのストレスが溜まっている状態になります。Twitterでダラダラと書いてもいいんですが、中々纏まらないのでこうしてここで書いている次第です。

だから最近文章を書いているんですね。

多面性

多重人格のことではなくて、人はその馬その場の色んなペルソナがあるよねと言う話です。ペルソナは心理学の用語で、スイスの心理学者が提唱した概念、「間の外的側面・自分の内面に潜む自分」と定義しています。元々は劇で役者が使用していた”仮面”を意味していたそうです。現実とネット、もっと言えば家族と会う時、友人と会う時等々、多分その時その時で人格を使い分けでいると最近感じたので話題にしました。多分、使い分けない人なんていなくて、でもそういうのが苦手な人もいるみたいで中々難しいですね。

ギャンブル

継続は力なり、そんな言葉があって。
”努力をすればいずれ必ず成果は出る”という意味らしいです。これは意外とギャンブルにも通ずるものがあって、ギャンブルでの勝利は期待値によってもたらされるんじゃないかと思います。それは数回の思考で収束するものではなくて、期待値の上振れを引き続ける勝負になる。まずその上振れを引き続けるための条件を探し、それは必ずあって、それを毎回追い続けて勝負をする。また、それは継続することでしか期待値の上振れを引っかけることはできず、数回数十回の試行での勝ちはまぐれかと思います。

つまり、ギャンブルを辞めるまでその期待値追いを続けなくては行けないということ。
競馬をやっている人がレースの復習に血眼になっていることがそれですね。

過酷ですね。

おわり

あらゆるギャンブルの根底には、安全への強い確信を願望しているという面がある。

人は不確実な状態を望み、ギャンブルの世界に入っていくが、決着は常に念頭にある。実際、確実性と確信を求める情熱が強すぎるあまり、人は己の安全を貯めるために、何度も何度も府果実な状態に入らなければならないと感じる…

このように、逆説的に聞こえるかもしれないが、ギャンブルは確実性と確信、すなわち確かだと感じられることを求めるあがきである。単に不確実性を求める願望ではない。

ーー『ギャンブルの衝動』クレメンス・j・フランス,1902

私が好きなアメリカの心理学者の言葉で終わります。

終わろうとと思ったのですが、仲が良いと思っている人からお誘いが来たのでまた生きる糧が出来ました。1月、生きて行けそうです。よかった。

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